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繋げたい未来、伝えたい今 シイタケ原木栽培と米作りの現場から考える持続可能な農業とは
高校生「聞き書き」作品集

MV 繋げたい未来、伝えたい今 シイタケ原木栽培と米作りの現場から考える持続可能な農業とは
※この作品集は高校生により作られたものです
取材対象者 河野 幸信(大分県杵築市)
聞き手 田浦 彩奈・財前 拓実(大分県立高田高等学校 普通科)
取材日 2018年8月17日・11月30日

望んだ農業の道へ

河野幸信さん
河野幸信さん

私の名前は河野幸信です。今年で69歳です。

家族は、私と家内と子どもが4人います。子どもは女2人男2人でね。私たちの世代は、子どもは3人ぐらいが平均。多い人は5人ぐらいおっちょったけどね。

農業は、高校を卒業して4年ぐらいですから、22歳からですね。もう47年になります。

親が「最初から田舎で生活するんやないで、何年かは外の生活もしてみたら良いんやないか」っち言うてくれましたので、4年ぐらい北九州の方に出ちょって、北九州の会社に勤めちょったんやけどね。「都会も良いな」と思いましたけど、やっぱ家庭持ったら田舎の方が生活しやすいし、子どもを育てるのも育てやすいしねぇ。何よりも、自分には農業が一番適してるっちゅうような感じがしてね。今は一つも後悔してないです。

私が何で農業の後(あと)を継いだかと申しますと、親父が元気で現役なときに入って農業すれば、親父の仕事を見ながら覚えられるんじゃないかと思ったからです。明治生まれの親父やけん、機械は使ってなかったし体だけでする仕事やけん「少しでも稼がないけん」っちゅうような気持ちがありましたね。

世界農業遺産のブランド認証を目指して

私のところでは、お米は2.5ヘクタールくらい耕作して、つや姫とヒノヒカリを育ててるんですよ。つや姫は県が推奨してるんですけど、勝手に作れない品種なんですよ。5反以上でなければこの品種は作付けできないって決まりがあって、できたお米は農協に出すことになっています。1袋あたりの価格がヒノヒカリで6200~6300円くらいで、つや姫は6500円くらいになるね。それを農協に提出して検査を受けて一等米だったら世界農業遺産のブランド米に認定してくれるんやけど、二等とかに下がった場合はブランド米にならない。ブランド米になったら500円くらいプラスになるかな。

つや姫は勝手に販売できない規制があるから、つや姫やめてヒノヒカリに戻る人が多いんですよ。

ヒノヒカリを個人で販売する人は1袋7000円くらいで売ってますね。お米自体はヒノヒカリよりもつや姫の方が美味しいと思いますね。美味しいんですけど、自分で自由に売れないという規制があるが故に、もう少しヒノヒカリよりも最低1袋1000円くらい上げないといけんのよね。「自分で勝手に販売できない」っちゅうのが、つや姫の一つの弱点というか、課題みたいなものですね。

27年度につや姫の県のコンクールがあったんだよね。27年には優秀賞、29年には最優秀賞をもらったんですよ。表彰式があって、OBSラジオの取材が来てね。「ラジオ出てください」「どういう作り方をするんですか」って。それは特別だね。その時はたまたま良かったと思ってたら2年後には、それは農協の人が提出してくれたんだけど、「今度は最優秀賞で、別府で表彰式があるから行ってくれんかな」って。2回続けてなったということは、技術面はどうかわからんけど、山間部のこの土地にあってるんやないかなと思うんやけどね。もともとつや姫は山形でできた品種なんでね、高冷地には適した性質なんでしょうね。

収穫作業の様子
収穫作業の様子

土は赤土のところが良いというけどね。ふつうは砂地だとか。ここは黒ボク土っちゅうんかね。田んぼに水を入れてかいてもここは赤っぽく見えるけど、黒く見えるところもあるからね。

こだわる米作り

田んぼの作業は、田植えの準備から入れたらどれくらいになるかね。5月の初めから田植えまでが30日。その後、水の管理から草刈りとかもしないといけないしね。だから、そんなの入れたら60日。稲刈りも20日かかるから2ヶ月半ぐらいかかるんやないかね。正味、3ヶ月かかるかもしらん。

個人的に特別な作り方はないと思うんやけどね。なんぼ機械でするといっても、とにかく丁寧に田んぼを耕す。最初に、春は「田起こし」といって、稲刈りが終わってからまだ稲株が残っている状態のまま耕して、稲を植える準備で水を入れて水田にするんだよね。今トラクターが大きくて良いから、きれいに土が砕けて田んぼになるんですよ。でも、田んぼが広いから肥料を撒いても均一に肥料がいってないしね。正直なところ、肥料が効いたところは背も高いし、色も青々としてるというか、丁寧にしないとムラができる。肥料は均一に撒かんとそれは現れてくるね。それと、水の管理ですね。面積の割に田んぼの枚数が多いから水の管理で見て回るのが結構掛かるんですよ。いい運動になるわね。

後は、稲を植えてから穂が出て収穫するまで、稲の成長に応じて周囲の草を刈るのと田んぼに水を入れるくらいだね。病気がくればヘリコプターを頼んで薬を撒く人もいるけど、ここ何年かは使ってません。収穫したお米は農協に提出しますけれど、希望者にはうちのお米の保冷庫に入れて必要に応じて配達してあげたり、取りに来てもらったりしています。

細心の注意を払いながら収穫する河野さん
細心の注意を払いながら収穫する河野さん

この土地の原木で

シイタケが何年ぐらいから盛んになったかよくわからないですけどね。大田に原木が豊富にあるということで、佐伯の方がこっちに来てね。昔は栽培技術はそんなんなかったけども、徐々にシイタケが儲かるっちゅうのが広まって。それで大田全体でシイタケの生産者は全盛期に80~100名いたんですけど、今は10名くらいしかいない。

昭和50年頃は、ここ辺り軒別にシイタケ作っちょったね。今はシイタケ作る人もお米作る人も少ないしね。今、この辺ほとんど作れんけんお願いしますということで、私が見える範囲はしています。

妻に苦労をかけないために

ホダ木はだいたい直径10センチぐらいかね。それに1本あたり20ぐらい駒を入れるんですよ。やけん場所にもよりけりやけどね。多い人は1日に1万駒入れるんじゃないですかね。ドリルで穴を開けて、植菌する人と2人。一人で7千~1万打つ人もあるっち言うから、1日に1万打てば10日で10万やけどね。やけど夫婦でするっつったら1日5千~6千ぐらいしか打てない。普通、種駒が1000入っとるんやけどね。その1袋っつうだけでもね、そら大変。自分もしてみて「女性やったら大変じゃ」っち思うよ。やけん伐採から玉切りから…そういう作業は一人でやってます。

急な斜面を登った先にあるホダ木の保管場
急な斜面を登った先にあるホダ木の保管場

一人で極めるシイタケ栽培

原木と菌床は全然風味が違うしね。菌床はちっと柔らかいっちゅうかね。原木シイタケはコシがあるっちゅうか、日持ちもするしね。やっぱ菌床っちゅうのはシイタケの形しちょうだけで、私なんかから見たら全然違うとは思うんやけどね。風味が違うんやないかね。原木の方がなんか肉付きがしっかりしちょん。コシがある感じで。

シイタケはやっぱ重労働やね。採取するごとなったらいいけど、それまでの段階がね。大体、11月に伐採してね。木の養分が一番多い時にある程度水分を抜かして、1メーター~1メーター20ぐらいに切っていくんですよ。

伐採したら大体40~50日くらい置くから、玉切りはだいたい1月、お正月過ぎてからそういう作業になります。玉を切ってから今度駒打ち*するのに、植菌しやすいように何か所かに寄せて。それが終わったら植菌作業になるんですけどね。植菌作業が終わったら、原木の状況に応じて「水分が少ないな」と思ったら仮伏せ*っちゅうて地面に直接こぞんで*ね。湿を与えるっちゅうかねぇ。それが終わってからだいたい本伏せ*っちゅうて、原木を囲炉裏に組んでいってね。風通しがいいように組んでいくんですよ。

だいたい品種によるけど、稲刈りが終わってからホダ起こし*をするんですけどね。やき、それを毎年繰り返してます。

だいたいホダ木の理想はね、12年~15年ぐらいが一番理想なんやけどね。でも30年経つときもあるしね。生産者によっては逆にそういうのを好む人もある。ホダ木の寿命は長いし、良いシイタケが採れるということ。でも年数の経った木はやっぱ量が少ないわね。ホダ木はクヌギが一番適しちょんやけどね。ここはあまりナラの木とかないけどね。ナラとか、やっぱクヌギに比べたら少ないですね。

 

仕事の分散化を図ってせんと、夫婦2人で作業するのはなかなか大変やきね。以前やったら結構、加勢してくれる人があったけどねぇ。今は加勢してくれる人が近くになかなかいないから。シイタケ採るのも朝から夕方まで頑張らないけんし、ちょっと気温が上がればシイタケの型が変わってしまうけん、結構大変やねぇ。

収穫は、だいたい春が主体やきね。春になったら実際にホダ場に行ってシイタケの状況を見てするんですけど、ちょっと気温が上がってきたら関係なく毎日採らんとね。収穫のタイミングは、ある程度シイタケが巻かっとるんやけどね。内側に膜があって、膜が張っちょったらまだ早いんやけどね。すぐ膜が無くなるきね、あまり若すぎると商品に価値が無くなるし、最終的に気温が上がったら収穫できんから、ちょっと悪いのが出来たりするんやけどね。

ホダ場に運ばれたホダ木
ホダ場に運ばれたホダ木

*駒打ち…春先に原木にドリルなどで駒の入るくらいの大きさの穴を開け、種駒を埋め込むこと。
*仮伏せ…棒積みなど本伏せよりも湿度が高くなるように木を寄せて、椎茸菌の成長を促す方法。
*本伏せ…椎茸菌を原木全体に蔓延させやすいように木を組んでホダ化させる作業のこと。
*こづむ…積み上げること。
*ホダ起こし…菌を回した木を起こし並べていくこと。

シイタケの新たな道

「カンカンしいたけ」っちゅうのはね、もともと行政の方が企画っちゅうんか、東京農大の方にお願いをしてね。たぶん世界農業遺産の一環として、「シイタケに付加価値を付けたらいいんじゃないか」っちゅうような話で始まったと思うんやけどね。

「カンカンしいたけ」の作り方はね、春の最盛期に集中して発生してから、ちょっと開いたシイタケを天日で干して、ビタミンDを増やす。摂取した柔らかいやつをエビラに広げて外の天日に当てるんですね。天日に干せば日が当たらなくても結構紫外線でビタミンDが含まれるらしいんですよ。やけん、普通のシイタケと天日に干したやつを比較したら、かなり数値が変わってくるんですよ。それを今度、機械でパウダーにするわけですね。それを去年から東京農大の人と行政の方が試験的に作って、何点かお店に出したそうです。私が始めだしたのは今年からなんですけどね。でもね、この近くの店はあんまりそういうのは人気がないっちゅうかねぇ。山香にある「風の郷」にも置いちょったんやけど、温泉に入りによそから来た人は何人かが買って行って、地元の人っちゅうのはシイタケにそんなに関心がないんやろうなと思いますね。じゃけん、今は東京で東京農大の方がお世話をしてくれています。遠くの方は結構売れ行きがいいっちゅうかね、人気があるんやけどね。

「カンカンしいたけ」で使われるシイタケとは別に、干しシイタケを山のホダ場から持って帰って、塀裏に並べて乾燥機に入れないけないんですよ。

これらの作業をする時期がちょうど重なってしまうから、なかなか大変なんですよ。

パウダーにしたらもちろん日持ちはするわね。それと、普通の干しシイタケは水に戻してせんとすぐ使われないけど、パウダーは味噌汁とかに入れても風味が良いしね、ちょっと料理をするときにもその粉を入れて使えるんです。

他にも、うちじゃなくて杵築の営農組合のほうが「ミックスパウダー」っちゅうてね、私もよくわからないんですけど、小麦の粉に「カンカンしいたけ」を1割ほど混ぜて作られたもので、パンケーキとかが作れるようになってるらしいです。ほかにも、サラダやウインナーと一緒に料理しても美味しいらしいんですよ。

カンカンしいたけ
カンカンしいたけ

農業の未来のために

今、県が新規就農希望者を募集してて、若い人が農業にあこがれて田舎の方に来るんですよ。この前も沖縄からね、45歳の人が空き家バンクを利用して移住してきたんです。空き家バンクを利用すれば、住むところもあるし、今までシイタケとかに携わってきた人がいれば、その人に色々指導してもらいながら、倉庫や施設が残っているのを利用してシイタケ始めてみたいと言うような人もいたし、農業に全く関係ない人が1年ぐらいは県からの助成金を使って研修を受けて、独り立ちするっちゅうんかね。農業は厳しいですけど「農業を始めてみたい」っち言うてくれる方もおるから、そういう人たちがどんどん増えてくれるといいなと思いますね。

Profile写真 河野幸信さん

河野 幸信【こうの ゆきのぶ)

生年月日:昭和24年生まれ
職業:農家(シイタケ、米)

略歴
大田中学校、高田高校田原分校を卒業後、お米とシイタケを栽培して47年。
平成27年 「うまい!つや姫コンテスト」にて優秀賞を受賞。
平成29年 同コンテストにて最優秀賞を受賞。
『しいたけ原木栽培の全ての工程を夫婦だけで行い、 東京農業大学と共同で乾燥シイタケを粉末にした、 「カンカンしいたけ」を開発。』

取材を終えての感想

集合写真

1年 田浦 彩奈

私は「聞き書き」の活動に初めて参加させて頂いたことで学んだことがたくさんあります。参加させていただく前は「どんな活動なんだろう」と思うと同時に、「私が名人の魅力を伝えられるのかな」と思い、とても不安でした。
しかし、実際に参加させていただくと、研修でも取材でも「参加したからこそできること」を体験することができました。
今思うと、とても貴重で有意義な時間だったと思います。

取材させていただいた中で一番驚いたのが、お米もシイタケの栽培も河野さんが一人でなさっていることです。1回目の取材では河野さんが管理されている田んぼの面積に、2回目の取材ではホダ木の数に驚かされました。

この取材を通して、私は改めて「自分にしか体験できないもの」と思うことが出来ました。実際に農業に携われている方に直接お会いし、生の声を聞くことができる機会は滅多にないからです。その点におけるこの活動は、今しか体験することの出来ない、貴重で有意義なものだと思います。

1年 財前 拓実

僕は今回の聞き書き研修でたくさんのことを学びました。突然参加することになって、最初は何をしたらいいかわかりませんでしたが、活動していくうちに多くの貴重な体験をすることが出来ました。

僕が一番驚いたのはシイタケやお米の栽培を河野さんが一人でされていることです。実際にシイタケを栽培している場所を見せてもらった時、僕は一人でこんなにできるものなのかと人間の力を知った気がしました。そこにあった凄まじい数のホダ木を見て言葉が出なくなったほどです。

僕はこの聞き書きを通して、インタビューでシイタケとお米について学ぶだけではなく、その人とその人に関係する人についても知ることができることも学びました。人に触れ、人を知り、人を学ぶ。
この聞き書きはその地域についてだけはなく、インタビューした人の人生を学ぶことができる素晴らしい活動だと思います。

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