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くにさき(しちとうい)七島藺がつむぐ地域の未来像
里
七島藺は全国でも国東半島地域のみで生産されるカヤツリグサ科の植物で、畳の材料になる。諸冨康弘さんは5年前、52歳で公務員を辞め、帰郷して七島藺農家に転身した。「当時は国東市の5軒だけで、そのうち3軒は70代。このままなくなるのはもったいない、と思ったんです」。
七島藺の歴史は約350年。
江戸時代にトカラ列島から大分へ伝わり、国東は雨が少なく七島藺栽培に適しているため盛んに栽培された。
イグサより丈夫で柔道畳などに使われ、全国に広まったが、時代の変化で衰退。近年は再び琉球畳として注目され、希少価値が高まっている。
生産は植え付けから刈り取り、織りまで、今も手作業が多い。
「自然相手なので気候によっても田んぼによっても出来具合が違う。大変だけど面白いですね」。
いかに色艶よく美しく育てるか。毎年ノートに記録し試行錯誤を続ける。多くの人に自然の中で七島藺に触れてほしいと、田植えや刈り取りの体験会も開催。
こうした活動が功を奏し、新規就農する若者が増えてきた。
「七島藺の魅力は、面白いの一言。一見ただの草なのに色や香りの変化もあり、編む・織る・組むなどで形も全く変わる。今まだ仲良くなってる途中かな(笑)」。岩切千佳さんの工房に並ぶ円座や美山河(みさんが)、しめ飾りなどはどれも優しくて個性的だ。
10年前、手をケガし、リハビリに始めたのが七島藺工芸だった。工房を立ち上げワークショップに力を入れた。「農家さんは家にこもって淡々と作業をするのでもっとオープンにして一般の人に知ってもらいたいと思ったんです」。
世界農業遺産認定が追風となって、活動の幅も広がった別府の高級リゾートホテルのオープニングに七島藺のテープカットが採用されたり、クルーズトレイン「ななつ星in九州」の車内でワークショップも。合間には田んぼで生産者と一緒に汗を流し、出来具合を観察する。畳にできる良い材料で作るのがこだわりだ「農家さんが残っていけるように、七島藺の価値を高めていきたいんです」。
工房名「ななつむぎ」には草をつむぎ人と人をつなぐという意味を込めたという岩切さん。七島藺がつむぐ未来は明るい。